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出会いが生んだ米の自然栽培
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Part1(約16分)
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https://ubiq10.moodlecloud.com/pluginfile.php/295/mod_label/intro/part1.mp3
ナレーション:
明日への言葉です。今日は『出会いが生んだ米の自然栽培』というテーマで、熊本県八代市の自然農法実践家稲本薫さんのお話です。稲本薫さんは熊本県八代市の生まれで今年66歳。農家の後継ぎとなり、農薬と肥料を使わない自然栽培による米作りをして42年になります。
稲本さんが自然栽培による米作りを始めるきっかけとなったのは、複合汚染や沈黙の春など、農薬による環境汚染が社会問題となり、農薬に頼る農業でいいのだろうかと疑問が湧いたことでした。10アールの広さで始めた米づくりも、今や百倍近くに規模を拡大し、酒米づくりにも取り組んでいます。
生産された酒米は、国内や海外のお酒のコンクールで金賞を取るほど、酒米としても認められる存在になりました。米づくりは昔から88の手間がかかると言われ、大変な苦労を伴います。その1つが田の草取りです。除草剤を使わず、人手をかけずに田の草取りをするにはどうすればいいのか。
稲本さんは自然農法の先人や農業研究者たちに教えを請い、水田を観察し、米作りに取り組んできました。人との出会いによって生み出された人生哲学が人に聞き、勉強し、自分で考えるということでした。では、自然農法実践家稲本薫さんに、ラジオ深夜便の坂口憲一郎ディレクターがお話を伺います。
坂口D:あの、初めて八代というところを伺ったんですけれども。
稲本:はい。
坂口D:歌手で言えば八代亜紀さんがここの出身だと。
稲本:そうですね。八代亜紀さんの実家の近くにも、田んぼを借りて作っています。八代はほとんど水田地帯で、海から10キロぐらいになりますかね。
坂口D:今年は雪国は雪がなくて困っているとかですね。まあ、さまざまな影響があるわけですけれども。
稲本:そうですね。
坂口D:米作りとしてはどうですか?
稲本:そうですね、ちょうど田植え前後の6月、7月っていうのは大雨降ったんですよね。何回か田んぼも、あの、水がかぶって冠水したこともありましたけど。で、その後の稲の生育期の8月ぐらいには、ほとんど雨が降らなかったって、異常気象がますますひどくなって。読めなくなってきているなっていうような現象になってきていますね。
坂口D:広々と広がる水田に少しこう、青いイグサかな。
稲本:イグサですね。もうずいぶん減りましたけど、畳表の原料なんですけどね。私の父親もこの八代でも一番の面積を作るようなイグサ農家でもあったんですね。
坂口D:たしか、イグサの寒田植えという言葉がありますね。寒に田植えをするのかな。
稲本:はい、そうです。あのー、あの、イグサ植えは、田んぼの氷を割りながらイグサを植えたこともありました。特に私はあの冷たいのに弱かったもんですから。まあ、みんな植えている中で、自分だけ音を上げるわけにはいかないわけですけれども、本当にきつかったですね。
坂口D:まあ、全国でも有名なイグサの産地だったわけですけれども。
稲本:もう、いつ終わってもおかしくないぐらい減ってますね。
坂口D:稲本さんは20歳の時にまあ、農業後継者として、みかん、イグサ、お米を作っている複合経営の農業を受け継いだということですけど。
稲本:はい。
坂口D:農薬・除草剤、化学肥料を使わないという、こういう米づくりは、どんどん米作りが食料増産でこういう方式になったわけですが、それと真っ向対立する作り方ですね。
稲本:そうですね、あの、化学肥料、農薬・除草剤、化学肥料というのは、1890年代にドイツで生まれて、それが日本に入ってきたのは、皆さんもご存知の有名なこの熊本県水俣にあるチッソ水俣工場。そこから化学肥料を作り始めて、日本の農地で一般的に使われ始めたのは、昭和20年代になってからじゃないかな。肥料という概念が実は自然界にはなかったんです。まだ100年未満であると。ですから、まだその影響が人体にはそんなに見えてないんですけど、私はこれから出てくるんだろうと思って。
ちょうど私が始めた頃には有吉佐和子さんのですね。『複合汚染』という本もベストセラーになりまして、私もそれを読んでちょっと「わぁ」と思ったんですけど。そういうのがきっかけにはなったんですけど、一番のきっかけは、私は八代高校を卒業して、普通高校ですけれども、熊本県果樹試験場に併設されていた果樹園芸講習所、今の県立農大の熊本県立農大の前身になるんですけど、そこで2年間、まあ、みかん作りの勉強を学んだんですけどですね。
その中に山本滋先生という、まあ、果樹の病理学の先生がいたんです。まあ、その先生がですね、玄米食されてて、聞かされてきた言葉が、私の人生を、方向付ける1つの言葉になったわけですね。玄米を包んでいる玄米の皮ですね、「ぬか」と言いますけど。例えば米偏に健康の「康」と書いて「ぬか」と読みます。それではその玄米を精米して、その糠を取った白い米は何というか、米偏に「白」と書いて何て読むかという脱線授業されたわけです。で「かす」っていう読み方。
坂口D:は?「かす」ですか。
稲本:だから、その「ぬか」を玄米から取った白米は「かす」なんだよっていう。まあ、本当に脱線授業だったんですけど、その2年間、その果樹試験場、果樹園芸講師所で学んだ勉強の中で、一番自分の、まあ、身についた、実は授業だったんですね。で、それをきっかけに、24歳からこの道に入ったんですけど、脱線授業が私の人生の本線を作ったっていう。
坂口D:20歳で農業後継者になって、24歳で、この、有機農業っていう形に、農業に取り組んだということですね。最初、なんかずいぶん少なかったんですね。面積もねえ。
稲本:まずその、誰にもその教えてもらえる環境もなかったしですね。どうやったらできるんだろうっていう不安もありましたもんですけど、まずは自分の家の一番狭い田んぼの10アール、まあ、家で食べる分からまだ始めてみようということで取り組んだわけですね。ただ、その、10アール、狭い田んぼを無農薬、除草剤なしで無肥料で、ま、母親が手伝ってくれましたね。で、24歳で初めて1年後に結婚もして、家内も一緒に草取りとかもやってくれたんです。農家の女3人兄弟の2番目で苦労して育ってるんですよ。あの実家は農業なんですけど、この親父さん、すごくあの苦労して、狭い面積から家内が嫁いでくる頃には、3町5反まで田んぼを増やしてたんですね。ですから、つましいという言葉が当たり前だったっていう、そういう意味では。まあ、私は結構派手な方なんですけど。そういうのを戒めてくれて...。時々衝突もありますけど。
坂口D:ふふふ。まあ、いろんな出会いがあるわけですけれども、あの、最初に山本滋先生ですか?
稲本:はい。
坂口D:それから、次に今度はお医者さんの。
稲本:久野内科医院という、病院の中に、自然の方で作った野菜類を置いてた店がです。病院の中にあったんですね。で、久野先生が、八代市の医師会と栄養士会と有機農業者と健康指導士会、4つの団体をまとめてですね、健康フェアっていうフェアを始められたんですよ。そういう中で、久野先生が病院というところは、人の病気を治すところですけど、人の健康のもとには食べ物があるっていうこと。そしてその言葉の中に、食する食べ物を食べるっていうことは、命をいただいているっていうことを言われたんですね。その時は本当にすごい感銘しましたね。そこからのつながりで、福岡正信さんの書かれた『自然農法・わら一本の革命』っていう初版分が置いてあったんですね。読んでびっくりしました。えー、世の中にこんな人がいたんだと。それでまぁ、その本に、あの最後の方に、福岡正信さんの電話番号も書いてあったものですから、すぐ電話入れたんですよね。当時びっくりしたのはですね、米麦一貫栽培という米と麦を一緒に作ると、時期的には、あの、米と麦はずれるんですけど。お米を作って、収穫前の稲の中に麦の種をもう、播いとくと、そして今度は麦を収穫する前に、イネの種をじか播きです。で、じか播きした場合に、どうしてもネズミとかですね。スズメも含めてですけど、稲の種、麦の種、食べられますよね。食べさせないためにどうしたらいいかということを自分で考えて、それをですね、実践されてたんですよ。それはどういう方法かつったら?稲の種、米の種、麦の種に土をですね、粉末にしてまぶして、で種の周りを土団子で囲むわけですね。そしたら種が見えなくなるからネズミもスズメも食わないと。その技術は今、あのコーティング剤っていうのがあって、ちゃんと実践されているんですね。ま、当時ボロい中古車の車に乗ってたんですけど、家内と3歳と1歳の息子2人乗っけてですね。愛媛まで渡って、松山の坊っちゃん駅で車中泊しました。
坂口D:はは、マイカーの中で泊まり込んだわけですか。
稲本:そうです。もう夏盆すぎで暑い時ですけど1泊して、で、それでですね、いろんな話を聞かせていただいたんですけど、まず私だけじゃなくて高校3年生の若い男の子が来てて、福岡さんに、あの、卒業したら、東南アジアへの農業支援に行きたいと、できたら、福岡さんに日本の焼き畑農業、伝統的な焼き畑農業を教えてくれませんか?という質問をしたんですよね。即福岡さん一言。「まあ、君はまあ、農業支援には外国に行くのはいいけど、まず日本の農業の現状を知ってますか?」ということですね。自然農法を提唱して実践していた方ですから、やっぱり農薬とか肥料とか、そういう影響を考えた上での農業やってたわけですからですね。そこに焼き畑農業を教えてくださいっていう。聞いた高校生に対して、「まずは日本の現状を勉強しなさい」ということを、福岡さんのところには、私が行く、行ったときには、もう2人しかあの研修生が残ってなかったんですね。その数年前までは13人いたっていうふうに聞いてます。なんで2人になったかというのを福岡さん、特に日本人の研修生、若い子たちは自分で勉強しないと、あの例えばみかん園のですね、草払いをさせれば、まあみかんの木以外の草は全部きれいに刈り払ってしまう。
中にはミカンの木にすごくためになる有効な草木類もあるんだ。特にアメリカの植物だったら、例えば田んぼでは蓮華草とかですね。このマメ科の植物には、あの、根粒菌っていうのは窒素を固定してくれるんですね、何もせんでも。そういうのを勉強もしないで人に聞きよる。福岡さんに聞きもしないで全部きれいに刈り取ってしまうと。「まずは自分で、その、勉強しなさい」っていうことですね。言われたんですよね。その時、本当に私はいろんな技術的な、小さい技術的なことを聞くために言ったんですけど、ここの論点が実は自分のまあ、人生、この自然栽培人生の中で一番とか考え方の中心になりましたね。
まずその、人に聞くと。自分で勉強する。そしてそれをしっかり考えてやると、そうしたら失敗も少なくなるだろうっていう教えですよね。いわゆる実践論ですよね。それが結局、自分のこの40年ちょっとの自然栽培にも一番生きてるなというふうに思います。
特にわれわれの農業っていうのは誰も教えてくれる人が教科書もない。教科書は自然が相手だけですよね。そして、その自然相手が毎年こう気象が違うわけですね。条件が。ということは、経験の積み重ね。経験を積み重ねるっていうことは、やっぱり失敗も含めてしっかり考察するっていうことが、実は自分の教科書にもなっていくし。
で、私もまだ、もう42年になるんですけど。米作りに関しては、1年1年、1年生なんですっていう。毎年、あの状況が違うからですね。気象も含めて。だから、この福岡さんのこの考え方っていうのが、すごい、自分でも、まあ、ためになってきましたけど、これから始めようっていう新規就農的な若い人たちに、私は一番の言葉じゃないかなというふうに思っています。(Part 2へ続く)
Select section Part 2 (約27分)
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Part 2 (約27分)
Select activity Part 2
https://ubiq10.moodlecloud.com/pluginfile.php/298/mod_label/intro/interview_part2.mp3
坂口D:稲本さんは、いろんな、この、研究機関に相談に行ったり、勉強しに行ったわけですけど、片野学さんっていう方ですか。この方の影響が大きいんですね。
稲本:そうですね。わが人生の中での、一番のやっぱり出会いだというふうに思っていますね。九州東海大学農学部に岩手大学から赴任されて、約30年間お付き合いさせてもらいましたけど。
坂口D:この方は東京大学農学部の大学院で、イネの根の研究で博士号を取られた。これ、イネについての研究家だったんですね。
稲本:実は片野先生の人生にとっても、イネの根、根っこという部分が、先生の人生をまた影響したんですよね。それはどういうことかと言いますとですね。根っこっていうのは、見えないですよね、地面の下ですから。実は見えないところに真理があるっていう、根を見れば、地上部が見えてくるっていう。特にわれわれみたいな無肥料の自然栽培というのは、根が大事なんですよね。あの、肥料をやらなければ、根がしっかり育つようになるんです。
これはですね、種が、種の力がそこにつながっていく。最初に化学肥料を作り出したのは、ナチスドイツですね。いわゆる戦争に向けての食料増産。戦争が始まったら、もう食料を作る人もいなくなる。少ない面積でいかに増収をするかっていうことに目を向けたのが、ドイツだったんです。
で、なぜドイツだったかって言いますとね。実はドイツにはそのまた百年ぐらい以上前にですね、リービッヒという人が、この地球上で初めて土壌分析学を始めたんで、1837年。資料も学者の人たちが研究してたんでしょうね。
この空気中に実は窒素の元があるっていうことを知って、それを固定する技術を最初に生み出したのがドイツだったんですね。で、それが日本に入ってきたのが1900年当初で、最初に水俣に窒素工場ができた。で、その化学肥料をたっぷり与えた、田植えをしたイネの根っこのすぐ下に、肥料がたっぷりあるもんですから、イネの根っこたちが、もう肥料を求めて根を伸ばす必要がないわけですよ。
簡単に肥料があるから、イネはその肥料を吸って、もう簡単に伸びていくわけです、地上部が。ところが、根っこが伸びてないわけですよね。この自然界の根っこっていうのは、肥料を与えないで作ったときにどういう動きをするかといったら、実はこの化学肥料を、窒素を作った元の空気中の窒素分も、地球の中心の燃えたぎっているマグマから出てきていると言われたんですね。地中を突き抜けて。
で、その地球の中心のマグマの肥料的な元を元素を求めてと、プラス、マグマの温度ですね、地温。地温のもとのマグマを求めて、地下部は根っこは地球の中心、中心に向かって伸びていくし、あの肥料分を何も与えない作りをすれば。だから片野先生はですね、その根の研究で博士号を取られましたけど、その後の自然農法の研究をする上でも、その根っこの、見えない根っこの大切さに気づかれて、それをしっかりと研究されたっていうのが、実は一番の成果につながった。
私も始めた、その当時、始めた自然農法という無肥料、無農薬のイネ作りしている先人たちがですね、東北にはですね、たくさんいたんです。昭和55年が一番冷害がひどかったんですね。岩手大学の子たちが、その自然農法の田んぼを見に連れて行ってくれたんです。
で、周りの田んぼは収穫皆無です。ところが、自然農法の田んぼはほとんど平年作だったわけです。それを見られた片野さん、初めて自然農法の田んぼを見られたわけですけど、まあ唖然とされたわけですね。ましてや東京大学農学部でですね、現代農学的な勉強されてきた先生が、「えー!」っていう現場に遭遇されたわけですね。
なぜその自然農法の田んぼだけが、平年作で実ってたかっていうことを調べてみたら、自然農法の田んぼの土は周りの慣行農法の田んぼの土に比べて、だいたい二度前後地温が高いっていうことがわかった。なぜ高いかっていうことですよね。
実は今まで長年施してきた化学肥料とかが、地表部から10センチか、20センチぐらいところに蓄積しているっていう事実があるわけです。そのことを肥毒層というんですけどですね。もう肥料分が蓄積している肥毒層が地温を妨げてるってこと。ところが自然栽培やっていけば、自然農法をやっていけば、それがだんだんとれてくる。自家採種した強い根っこの、あの種の力、根っこの力で、今、異常気象が年々ひどくなっていますけど、この異常気象に一番強いのが、実は自然農法、自然栽培なんです。
まあ、今、私はこの、「ひのひかり」と「あきたこまち」と、4年前に自分で改良し、選抜した「稲本1号」という品種を作っているんです。
坂口D:自分の名前のついた。それは、あの、そういう種を自分で自家採種したんですか。
稲本:基本的には自家採種が原則で、もう長い種は20年以上自家採種していますね。「あきたこまち」も「ひのひかり」も、実はその塩害で出た、そのきれいに実った稲穂もそう。その、あの、1つだったんですよね。で、あ、もしかしたら、これはすごいことになるんじゃないかというふうに思ったりして、まず塩害で実るわけですからね。
その次の年から栽培試験なんですね。そしたら1年目の試験した、まあ「稲本1号」てつけましたけど、もう1斗は取れたんです。おまけに玄米の色が本当に透明で、粒もそろっていろんな人に食べてもらいました。それぞれが高評価。まあ、ある意味、自然界からの贈り物だということですよね。
坂口D:米づくりには、除草をするのがもう農家の大変な苦労だったんですけれども。
稲本:そうですね。本当に除草には苦労しましたね。30数年前に当時面積はまだ1町歩ぐらいの時代ですけど、1カ所の田んぼがですね。
田植えをして、1週間経っても、もう、除草を始める、他の田んぼでは除草を始めてたんですけど、全然草が植わってなかったんですね。「えー」って思ったんですよ。何かなぁと思って。もしかしたら誰か除草剤振ったのかな?っていうぐらい、疑問も抱いたぐらいに。
ところがですね、よくよく田んぼの中を覗いたら、タニシがいっぱいいるんですね。まあ、子どもの頃によく見ていたニホンタニシとは、形もまあ、色合い的にも大きさも違う。まるっこくてちょっと大きいんですよ。もしかしたら、このタニシが草食ってるのかなって思ったわけですよね。
そしたら、その田んぼのすぐ近くで、私の、その自然農法仲間の遠山俊一さんという人が同じような面積を作ってて、お互いにお互いの田んぼを見比べたんですよ。そしたら、やっぱり遠山さんの田んぼも、やっぱり昨年まで相当草が植わってたのに、植わってないんです。
あっ、これは、ま、八代弁で「やっぱ」っていう言葉を使うんですけど、「やっぱ、タニシが食いよっとばい」っていうようなですね。言葉を交わしたのを覚えているんですけど。
坂口D:発見ですね。
稲本:発見ですねえ。あのー、で、遠山さんの田んぼは少しトラクターの使い方がまずくて、水がかぶらないぐらいの少し高いところがですね、何カ所かあったんですよね。そしたらですね、そこには実は草がいっぱい植わってたんです。あ、そこでもう一瞬でひらめいたんですよね。ジャンボタニシは水があるところでしか動けない。あっ、ジャンボタニシが動けないから草が植わってるんで、動ける水の中にはもうタニシがちゃんと食べてるんだなっていうことを、もう一瞬でひらめいたんですね。
坂口D:しかし、それはイネだって食べちゃうんじゃないですか。
稲本:そうですね。だから、そこでまた一瞬でひらめいたのが、田んぼをきれいに均して、田植えしてある程度稲が大きく成長する。まあ、せめて2週間から3週間、水管理を、田んぼに入れる水の深さを、草だけを食べて動き回る、動き回れるような水の深さ。まあ、せめて1センチ以内ぐらいで田面を均せたら、イネは食わせずに草だけを食べさせるっていうことが可能だなっていうのも、その時ひらめいたんです。
坂口D:大発見だ。
稲本:大発見です。
坂口D:あの、しかし、その、水をそこまで管理するのは、これはまた難しいことじゃないですか。
稲本:そうですよね。だから常にまあ、八代の私たちの田んぼには本当に用水路もある程度完備して、水管理だけはしっかりできるようなことを常にやってましたので、水深をコントロールすることによって、イネの苗は食べさせずに、草だけを食べさせるっていうことだったんですけど。
じゃあ、その次の2年目からですね。また少し問題点が出てきたんですね。ジャンボタニシが増えたんです。周りの田んぼではジャンボタニシを駆除する薬も使われ始めたので、われわれは何も施さない。これが鉄則ですので、じゃあ、増えすぎるジャンボタニシをどうコントロールというか。実はですね、あ、ことばで言ったら半不耕起栽培ということなんですけど。田んぼの土を荒起こしから、まあ、代掻きまで、その全工程において、もう5センチしか起こさずに代掻きまで5センチで行くと。浅い耕し方でなぜ減らせるか。このジャンボタニシは殻が柔いんですよね、薄くて。
実はカラスがよく好んで食べるんですよ。あの、で、その2月、3月に深く起こせば、土の中に潜ってるジャンボタニシがやっぱり深く潜ってしまうんですよ。ところが、5センチぐらいで浅く起こせば、もうその辺にしかいないんですよ。だからそれが潜れない。それをカラスがよく知ってて、食べに来るんですよ。で、そのカラスがですね、ジャンボタニシを減らしてくれる、あの一役を担ってくれたわけですよね。そのカラスを私がうまく使ってあげたわけですよ。浅く起こして。そういう発見もあったわけですね。
稲の一番の害虫にウンカという虫がいるんですよね。中国大陸から飛んでくるんですよね。ちょうど夏場から秋にかけて。これ、稲の一番の害虫と言われてきています。針のような口を持ってイネの樹液を吸うんですよ。しっかり身が入っている米がですね、この秋ウンカで枯れてしまったら、もうやせてしまってくず米になってしまう。それくらいの怖い虫が、コンバインでは刈れないぐらい倒れたものですから、手でですね、あのコンバインにかけて脱穀して、やっぱりくず米ばっかり、何俵かしかなかったんですね。
ここで気づいたのが、肥料が多すぎる田んぼは危ないな。昨年の米作りで、まあ、数年ぶりに中国大陸から秋ウンカが異常に飛んできたんですね。偏西風に乗ってですね。去年がですね、その周りの慣行栽培のイネと、無農薬・無肥料の田んぼは差がはっきり出ましたね。
普通に肥料と農薬で使っている田んぼは、もう八代平野もそうですけど、九州各地全滅の田んぼが秋ウンカで、宮崎にも行って、友達のところにも行って、1町歩以上やっている田んぼは全部どうもないと。無農薬だけど、そのウンカの被害ゼロ、私の田んぼもゼロ、そのウンカがつかない一番の理由は、肥料のない田んぼにはウンカがつく必要がないと無肥料で作っていると、さっきからもずっと言ってます。根が強いんですよ。
肥料だらけで作った根は、肥料がここにあるから根を伸ばす必要がない。結局、稲が作物が不健康なんですよね。根がしっかりしてないから見えないところがしっかりしてないから、上はよくできているように見えて、実は、もう全然土台がないってこと。そういう弱っている作物にウンカが来る。と、言い換えれば、あの、肥料を使っている稲を枯らしてくれるウンカは、肥料でできているものを、人間に食べさせないために存在しているんだなっていうことに気づいたわけです。
無農薬でも、実は虫も食ってないのが本物だったということが、これで見えてきたんです。だから、害虫と言われて、農薬をぶっかけられて退治されてきた彼らは、本当は人間にとっても悪い肥料でできたものを体に、健康に悪いものを人間に食べさせないために、存在しているんだなっていうことに気づいたわけですよね。
先ほどのジャンボタニシのことに気づいたと、まあ、同じっていうよりも、もっとこの宇宙のこれは論理だっていうふうに、そこに気づいたんです。っていうことは、肥料を使わなくても、われわれのような自然栽培、自然農法をしていけば、実は農薬を使う必要がなくなる、ということは、地球の環境も良くなっていると、私が本当にここ10年ぐらい声を大にして言っている地球環境回復が、あっという間にできるということにつながっていくわけです。
こういう農業をみんなであの考え方と実践を共有していけばですね。こういうグローバルな視点がどこから生まれてきたかと、自分の中でも、まあ、最初は本当にあの玄米の話と「かす」の話がきっかけになったんですけど、まぁ、自分だけが最初は食べる目的で、狭い田んぼをまず始めましたけど、全滅した肥料いっぱいの田んぼを急激に広げたのは、自分だけ食べてていいのかなと。
自分の田んぼが何枚かある中で、自分の食べる分だけは狭い田んぼで作って、あとの田んぼには肥料・農薬を使ってもう販売する、と。これは違うだろうということにまず気づき、そして実はある本とまた出会ったんですね。
それは、あの立花隆氏が書いた『宇宙からの帰還』という本ですね。まあ、アメリカの宇宙飛行士たちを、12名の宇宙飛行士を取材して回ったんですよね。で、宇宙から見た地球っていうのは、実は国境がないんですよ。
地図には国境を書いてありますけど、ほんと国境ないんですよね。でも、当時、ベトナム戦争も含めて、まあ今もそうですけど、まだ戦争をやってますよね。ところが、宇宙に出てみれば、彼らはもう帰るところは地球しかないっていうのが実感するわけですよね。
で、広大な宇宙の中に地球がポーンと浮いてるわけですよ。ですごく綺麗なんですよ。綺麗だけど、人間同士が国境をつくっていがみ合って戦争してるっていう。で、化学物質垂れ流して公害生んでるっていう。ウォーリー・シラーっていう飛行士が、彼が初めて宇宙に行った時には、あの上海っていう街が、まあ世界でも有名な町ですけどね、空気が澄み切って、宇宙からも綺麗に見えるような町だったんですよね。日本でいったら京都のような町だったと言ってるんです。ところが5年目に行ったらもう、スモッグで全然街の方が見えなくなってたって、あっという間ですよね。
5年ぐらいでそういうでかい街が空気が濁ってしまった。1900年代っていうのはすごい発展した時代ですけど、その後半にはもう公害だらけになりましたよね。で、彼らは宇宙で活動したときに全然神を信じなかった。
彼らが宇宙活動をしている隣で、自分の隣に神がいるっていうことを感じたっていう人がほとんどなんです、人間はちゃんと神が作った、自然は神が作ったんだっていうその臨在感に、こう畏れたっていうかですね。そうやって地球に帰ってきて、ほとんどの飛行士の人たちは、その後いろんな活動家になっていますね、環境活動家とかですね、自然とか。
それを読んで、私はやっぱ、そういう、こう、地球を、本当にわれわれの、この地球を外から見る必要があるんだな。この本で出会えてよかったな、と。ちょうど自分がこういう農業をする上で、そういう第三者的な見方をする必要が絶対あるなって思ったんですね。
だから、この私の43年、2年間というのは、すべて出会いで、こう始まって出会いで、まだまだわれわれの、私もやっているような価値観で動いている人っていうのは、ほんのわずかしかいないですね、地球上に。それよりも環境の方がまだまだ悪化している。
遺伝子組み替えとかゲノム編集とか。まあ、日本では昨年国会が種子法を廃止して、各県がですね、それぞれ、あの、例えば、熊本県のイネの品種は何を作るかと。そういうのを守るために、国が種子法という法律を作ってたわけです。
種の供給をスムーズにするために、例えば外からの会社とかに乗っ取られんようなですね。その種の権利を守るための法律だった。いわゆる種を守らないで、もし、「ひのひかり」は特に熊本県の銘柄品種なんですよね。そういうのを順当に、こう、農家に使ってもらえるっていう、それが影響ないようにっていう目的で作られてきたのが、種子法だったんですけど。
で、それが廃止されて、その廃止された後にくる悪影響を。私なりに最悪のシナリオ。今、あの世界中の種苗メーカーが合併合併してでかくなって少なくなっているんですよ。で、そういう影響力っていうのがもしその種の問題で、一番最悪のシナリオは何なのかということは、相手の国に種をやらんようにもしできたら兵糧攻めするという。可能性もありなのかなっていう今の現状からいったらですね。
坂口D:稲本さん、お名前からして、イネとか大変かが、まさに稲をしっかりと守っていかなきゃいけないという、そう、そういう感じがするわけですけれども、お母様はずいぶんその稲本さんに。
稲本:はい、はい。
坂口D:言葉を、これを大事にしなさいという言葉があったそうですね。
稲本:母親には特に「常に強い思いを持て」っていう言葉を何回か、亡くなる前までですね。聞かされたことがあって、やっぱり意志の強い人だったものですから、特に無農薬・無肥料の米作りを始めて、最初のやっぱりきつい時代が10年、15年とあったときには特にやっぱり、泣きたくなるときもあったんですよね。やっぱり草取りも大変で。
そういうときにやっぱりそういう言葉が生きてたな。プラスその後に私が規模を拡大して軌道に乗せ始めたころに考えたのが、こういう農業こそ自分の経営だけ考えてやったってダメなんだって。もし経営が成り立たないようになったら、すぐ考え方、コロッと変わっちゃダメだっていうことの強さという強さに、を与えてくれた。それは地球環境回復っていう。本当に一番でかいことを、一番グローバルなことを考えてやらないと、実は続かないんだという考え方に、私自身も到達したんですよね。
えっと、私の名前、稲本薫ですけど、で、私は本当にこういう農業で、かつ環境に優しい農業を続けて、ある程度まあ軌道に乗った頃に、自分の名刺を作ったんですよね。今日おあげした名刺です。名刺作るときに何か一言入れようと思って、よくよく自分の名前を見たら、薫から読んだ方がこれ物語ができるんだと。
まあ、稲本薫を後ろから読めば、「薫るような本物の稲を作れ」という、宇宙に神がいたら、その宇宙の神様からいただいた天命だなというふうに気づいたんですね。
坂口D:それを貫き通すためには、お母さんがおっしゃった「常に強い思いを持ち続ける」と。
稲本:ですね。まあ、両親から生まれた私ですけど、その両親のつけてくれた名前が、母親の言葉にちゃんとつながってコラボレーションしてるんだって。で、その両親がつけてくれた名前とおふくろのこの言葉って、両親の出会いとこの思いに、おかげで自分があるってですね。まあ、一番の最初の出会いはここですよね。まあ、目的があの人類の幸せのためにあるわけですから、あの楽しくないと面白くないし。
坂口D:いや、確かにあの稲本さんの人生を伺いますと。サッカーに熱中になって、サッカー協会の地元の会長さんになったり、合唱をやって全国大会に出たり。
稲本:はい。
坂口D:本当にいろんなところに関心を持って、一生懸命やる方なんですね。
稲本:やってるときはそこまでの思いはないんですけど、なんでも好きなんですよね。楽しくないと面白くない。
坂口D:なんか、お酒もお好きなようで、その原料の酒米作りも、好きっていうことになりますね。
稲本:酒米づくりのきっかけは、片野先生と一緒に1995年立ち上げた会が、「環境保全型農業技術研究会」だったんですけど、その時参加していたメンバーは、全国から約200名弱の人が参加してくれたんですけど、このこだわりの農業で作ったわれわれのこだわりのコメで、美味しいお酒を作ろうじゃないかと。今では、焼酎、酒、どぶろくも含めた30種類以上ありますね。それも環境に優しい地酒をいけるんじゃないかな。
坂口D:すると、それもまさに楽しいことですね。
稲本:これからもまあ、美味しい酒を、環境に優しい酒を飲みながら、もっともっと仲間が増えるように頑張っていきたいと思います。
坂口D:お忙しいところありがとうございました。
稲本:こちらこそ。
ナレーション:
「出会いが生んだ米の自然栽培」ー 熊本県八代市の自然農法実践家、稲本薫さんに、「ラジオ深夜便」の坂口憲一郎ディレクターがお話を伺いました。